9600型
新潟の96といえば米坂線が有名ですが、そこでは坂町の96のほかに郡山式集煙装置を装備した特徴ある米沢の96を見ることができました。また、1967年当時は新津と直江津で冬期間の入換機として稼動しているものがありました。中には、59661や69677のように管内を転々としながら、米坂線の本務機として最後を迎えた機関車もあります。1年前の1966年の配置表(NABEX)では長岡にも96が、新津には86も配置されていたようで、この時代の1年の差がいかに大きいかがわかります。9600は空気溜の位置やテンダの形式などバリエーションが多く、一台一台が異なる特徴をもつ機関車です。個人的にはデフなしの原型に近いカマが好みですが、96の総数が少ない割には4桁ナンバー機が4輌も揃っており、とりわけ興味をそそられました。

9632 29629 39658 49649 59663 79633
9634 29668 39679 49681 69633
9646 29689 39685 49690 69652
9648 29691 39697 59632 69677
29622 29699 49632 59661 79607 BACK

9632 9632はこの頃の新潟地域で最も若番の96で、大正3年川崎造船製。新津の入換機として冬季のみ稼動しましたが、1968年10月には酒田へ転属となっています。1970年の夏に坂町機関区に留置されていました。9632は公式側(左側)の空気溜がデッキの前方に付いている変則タイプ。スチームドームの裾が流れてあまりプロポーションは良くないですが、テンダは96らしい二段型で比較的原形に近く、新津では一番気になるカマでした。酒田市内に保存されているとのことですが、現況は不明です。
9632[新] 新津 1968.2.19

9632[酒] 坂町 1970.8.14





9634 9634は米沢区で最も若番の96で、大正3年川崎造船製。私が鉄道写真を撮るようになった1968年ころから、最後まで米沢区にいたようです。最初に出会った1968年の冬には煙室扉のナンバーが化粧文字の形式入りプレートでしたが、いつの間にか普通のものに交換されていました。金属の不足している戦時中ならいざ知らず、極めて悪趣味な改造です。1970年ころには、集煙装置を取り外していたようですが、米沢の96はもともと原形とはかなりかけ離れており、きちんと装着していた方が、米坂線の96らしくて好感が持てます。 
9634[米] 坂町 1970.8.14





9646 9646は9648と共に直江津駅の入換用として稼動していましたが、1969年の直江津電化により新津へ転属となりました。直線ランボード・空気溜中央配置の標準型でキャブは96らしい二つ窓です。テンダは二段型ですが、一段目のエッジがなく炭層の底板部にリベットを打った変形型を連結しています。このころは、正面と背面にゼブラ塗装をしていたようです。詳しいことは知りませんが、9646はこの後製造時の姿に戻されて、横浜港の煉瓦倉庫の前に現れたと聞いています。

9646[新] 新津 1972

9646[新] 新津 1969.12.24





9648 9648は9646と共に直江津駅の入換用として稼動していました。ランボード前端にあったと思われる空気溜は撤去され動力逆転機が装備されています。二段型テンダの上段の嵩上げが低く、原形を彷彿とさせる形です。1969年の直江津電化により廃車となりました。

9648[直] 直江津 1969.3.15





29622 29622は坂町区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。撮影旅行で何度も遭遇し、印象の強い機関車でしたので、20年ほど前に新潟市の鳥屋野自然科学館で保存機を見た時、すぐにそれが坂町にいた29622ではないことに気が付きました。装備からどう見ても北海道のカマ。ナンバープレートを作るときの手違いか何かで、むしろ、「こんな事を知っているのは世の中広しといえども、オレくらいしかいないだろう。」と変な自己満足すらありました。ところが、年をとって機関車熱が再燃し、インターネットで見つけたホームページで、とんでもないものを発見しました。新潟の渡辺さんのNABEXサイトにあった「消えた29622」。永久に誰にもわからなかったはずのSLすり替え事件を見事に解き明かしたミステリーです。この29622はオタク道の奥深さを思い知らされた機関車です。

29622[坂] 米坂線 1968.12.28





29629 29629は坂町区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。直線ランボード・空気溜中間配置の最もオーソドックスな形ですが、最大の特徴は前端を斜めにカットした長野工場タイプの大きめのデフレクタです。29629は1969年には廃車になりましたが、この特徴あるデフは、後に79633に、テンダは69633に受け継がれたと考えられます。

29629[坂] 米坂線 1969.12.28





29668 29668は米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。空気溜がランボード前端に付いた変則タイプで、大型のデフを装備しています。高山区からの転入で米沢の住人となったようですが、米坂線の最後まで活躍しました。この頃になると、米沢区特有の愛嬌のある集煙装置は取外されており、煙突周りが何ともしまらない印象を受けます。

29668[米] 坂町 1971.4.4





29689 29689は米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。集煙装置の他に大型デフ・シールドビーム1灯の米沢装備ですが、テンダに特徴がありました。青森港などで使われたバック運転用の両側面の切欠きを復旧していることから、東北の北側から流れてきたことが推察できます。この日は何故かこの29689だけが汚れていてナンバーも読み取れない状態でした。

29689[米] 羽前沼沢 1969.12.28





29691 9646、9648と共に直江津駅の入換用として稼動していた機関車です。空気溜がランボード中央にある標準的な形ですが、9648と同じ嵩上げの低い二段式テンダが原形を彷彿させます。九州の直方より転入しましたが、1969年の直江津電化により廃車となりました。

29691[直] 直江津 1969.3.15





29699 29699は新津機関区の入換機で1970年に富山一区から転入してきたました。空気溜はランボード中央、テンダは二段型と標準的なプロポーションですが、特筆すべきはキャブ側面に美しい形式入りプレートが残っていたこと。一度しか見かけませんでしたが、機関車本体の歪みもなく、とてもきれいな形の96だったという印象があります。1972年まで新津に残り廃車となりました。

29699[新] 新津 1970.12,.20





39658 39658は坂町区に所属する米坂線用の機関車でしたが、1968年の冬に突然新津に現れました。前年の79633のように貸し出しかと思いきや、区名札も変わっており正式な転属だったようです。状況から推察するとこの時期に新津から姿を消した59661との入替だったと思われます。そのせいかスノウプロウも59661用を装着しています。デフ付き前面手摺なしの米坂線装備のまま入換仕業に従事していたので、下の写真などは、まるで米坂線の混合列車のようです。

39658[新] 新津 1968.12.1


39658[新] 新津 1969.4.29





39679

39679は当時の機関車配置表では酒田区の所属となっています。外見もデフなし、クルクルパー、ゼブラ塗装と、坂町の96とは全く異なる装備で留置されていました。正面の形式入りナンバーが妙に心をくすぐります。最近見つけた写真なので、このカマには全く記憶がないのですが、文献によれば、その後新津から追分区に転属し、国鉄史上最後となった3台の蒸気機関車の中にいたようです。
 
39679[坂] 坂町 1971.4.4


39679[坂] 坂町 1971.4.4





39685

39685は坂町区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。凸型ランボード=空気溜中央配置の標準的な坂町仕様でした。テンダは前後に斜めの切欠きをもつ一般型を装備していました。米坂線の撮影ではよく遭遇しましたが、最後を待たず、この1971年の秋に廃車となっています。このカマはMicroAceが製品化した最初の96のモデル機となっています。


39685[坂] 坂町 1969.11.23





39697

39697は新津駅の入換用の機関車でした。新津の入換用96のメンバーは毎年少しずつ入れ替わりましたが、動力逆転機を装備していたためかずっと転出しませんでした。新潟地区ではめずらしくパイプ煙突に交替してますが、旋回窓がなく側面が二つ窓のキャブ周り、二段型のテンダがいかにも96らしい印象です。新津の無煙化の後は名寄区に転出し、1975年まで生き延びました。


39697[新] 新津 1969.3.15





49632

49632は米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。直線ランボード前端に空気溜のある変則タイプで、この上に小型のデフを装備していました。前照灯はシールドビーム1灯で1968当時は集煙装置を装備していました。テンダは前後に切欠きのある標準型です。撮影ではあまり縁がありませんでしたが、米坂線の無煙化まで米沢区に残り廃車となりました。


49632[米] 坂町 1969.11.23





49649

49649は米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。米沢の前は大宮区で川越線の列車を牽いていたらしく、本線筋の運用に恵まれた血統の良い機関車です。装備は小型デフ、シールドビーム1灯で、集煙装置のよく似合う、愛嬌のあるスタイルでした。特筆すべきは煙室扉ハンドルが十文字の砲金製で、いつも光っていたような印象があります。米坂線の無煙化の後は名寄区に転属し、1975年まで生き延びました。米沢区の96の中で一番好きな機関車でした。


49649[米] 伊佐領 1969.11.23





49681

坂町区の96の代表格がこの49681です。坂町には比較的プロポーションの良いカマがたくさんいましたが、49681はなんとも中途半端な(スカートがない)切り継ぎパイプ煙突を装備しており、煙突だけがやたらと目立ちました。しかし、それを補って余りあるのが、4面に付く形式入ナンバーで、この美しさ・豪華さは他の追従を許しませんでした。というのも、私が機関車の写真に魅入られるきっかけとなった、国鉄の方から頂いた写真の1枚が新潟機関区に憩う49681で、私にとっては59661、69677と共に特別な機関車です。文献では1965年は一時的に東新潟区の配置となっていますが、その前後はずっと坂町で、米坂線無煙化の1972年の夏に廃車となりました。
 49681[坂] 小国 1969.11.5


49681[坂] 小国 1969.11.23


49681[坂] 新潟機関区 1962〜1965





49690

49690は新津駅構内の入換用として稼動していた機関車です。凸型ランボードで前面の手摺とキャブ屋根延長以外はきわめて原形に近い96でした。テンダはリベットの浮き出た標準型。新津から転出することなく1972年に廃車となりました。
 


49690[新] 新津 1969.9.15





59632

59632は米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。基本形は直線ランボード空気溜中央配置の標準型ですが、米沢区特有の集煙装置に加え、小型デフ+シールドビーム1灯の私好みのちびデフグループ(49632、49649、59632、79606)の1台。米坂線の終焉を待たず、1969年には廃車になってしまいました。

59632[米] 米坂線 1969.12.28





59661

59661は長く新津駅構内の入換用として冬季のみ稼動していましたが、1968年の冬に39658と交替するように坂町へ転出しました。最後が本線仕業となった幸運な機関車で、奇しくも同僚の69677と同じ運命を辿り、米坂線の無煙化とともに1972年に坂町区で廃車となっています。直線ランボード空気溜中央配置の標準型でパイプ煙突に改造されていますが、新潟区時代は化粧煙突・デフなしだったので、キャブ屋根延長以外はほぼ原形でした。


59661[坂] 小国 1972.3.11 パイプ煙突に更新し大型デフを装備して米坂線仕様になりました。


59661[新] 新津 1968.2.19


59661[潟] 新潟 1962〜1965





59663

59663は坂町区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。凸型ランボード=空気溜中配置の標準的な坂町仕様の96。テンダは二段型ですが石炭層底板のリベットラインがわかる特異な外観です。米坂線の無煙化によって1972年坂町区で廃車となりました。
 59663[坂] 羽前沼沢 1968.12.28


59663[坂] 羽前沼沢 1968.12.28





69633

69633は入換用として長岡→直江津と移り住み、1969年の直江津電化で坂町へ転属してきました。直線ランボード・空気溜中央配置の標準型でいかにも坂町の96らしくなっています。テンダは29629のものを振替えられたようです。生命力の強いカマだったようで、米坂線無煙化の後は北海道の池田区へ転出し1975まで生き延びました。
 69633[坂] 小国 1969.11.5


69633[坂] 小国 1969.11.5 直江津から転入後に大型デフを装備して米坂線仕様になりました。





69652

69652は、1965年の配置表では新鶴見区の所属となっていますが、その後酒田区経由で米坂線の末期に坂町区に配属されたようです。直線ランボード空気溜中央配置、デフ・煙突・テンダが標準型の69677とほぼ同じプロポーションです。米坂線の無煙化により、坂町区で1973年に廃車となりました。

69652[坂] 手ノ子 1972.3.11 大型デフを装備し米坂線仕様になりました。


69652[坂] 坂町 1970.8.14 酒田から転入したばかりでほぼ原型に近い姿です。





69677

69677は59661、49681と並んで思い出深い機関車です。1960年頃の西舞鶴区での写真を見たことがありますが、新潟→新津→坂町と転属し、最後を米坂線の本務機として活躍した同胞の59661と同じ運命を辿りました。直線ランボード、空気溜中央配置の標準型で形もきれいな機関車でした。1972年に坂町で廃車となりました。


69677[坂] 越後金丸 1971 大型デフを装備して米坂線仕様となりました。

69677[新] 新津 1969.4.29


69677[新] 新津 1968.1.2


69677[潟] 新潟 1962〜1965





79607

79607は兄弟機79606と共に米沢区で米坂線の列車を牽いていた機関車です。装備は郡山式の集煙装置は付いていますが、こちらは大型デフにシールドビーム2燈です。ランボードは凸型の段差の低いタイプで、79606、79633と同じ工場(土崎工場、郡山工場?)で空制化されたことがうかがえます。米坂線の無煙化まで活躍し、こちらは1973年に廃車となりました。


79607[米] 小国 1969.11.5





79633

79633は坂町区に所属する米坂線用の機関車ですが、1967年の冬に入換用として一時新津に貸し出されたことがありました。ランボードは凸型の段差の低いタイプで、79606や79607と同じ空制改造を受けています。このカマは坂町でも多様な改造を受けたようで、デフなしになった姿や29629のものと思われるデフを装備した姿を目撃しています。米坂線無煙化直前の1972年1月に廃車となりました。

79633[坂] 坂町 1970.8.14 29629からの移設と思われる上端を斜めにカットした長野型のデフを再装備しました。 


79633[坂] 坂町 1969.11.5 デフなしで休車中と思われます。


79633[坂] 坂町 1968.11.23 角型の大型デフを装備していました。


 

79633[坂] 新津 1968.2.19 信越線普通列車の車窓からあわてて撮影した一枚







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