昔の記念急行券
  古いダンボールを整理していたら、めずらしいものを発見しました。乗車券収集は私の趣味の範疇ではないのですが、旅行先などで記念券が発売されていた時に何度か購入した記憶があります。ここに掲載する記念券はかなり年代もので、見本と印刷されているいものもあるので、もしかしたら、鉄道関係の施設に勤務していた父が私のためにどこかから入手してくれたものかもしれません。最下段は当時の撮影行の時に乗車券です。記憶にはありませんが、よくとっておいたと思います。それにしても現在と比べてなんと安いことか。当時は給料も物価も安かったとはいえ驚きの価格です。



寝台急行「天の川」は最初は新潟-東京のオール寝台急行で、オユ10+オロネ10+10系ハネという当時の編成表を見かけますが、私の写真の中では明らかに「天の川」の編成にスハネ30が組み込まれたものがありました。私は乗車したことはありませんが、親戚の誰かを見送りに行き、夜行列車の発車前独特のホームの雰囲気にしびれたことが思い出されます。





上越線の下り線の清水トンネルが完成し、湯檜曽駅が現在のループの下側へ下りてきたのが、この昭和42年だったのでしょう。私の学生時代にお世話になった昭和50年頃の「とき」は毎時初のL特急となり、最短時間は新潟-東京3時間55分という記憶があります。このころの上越線の中心はまだ165系の急行「佐渡」で「とき」は本当に特別な急行でしたが、所用時間は5時間近くかかっています。







この頃の越後線は非電化で旅客列車はキハ10系、キハ20系中心の鈍行のみ、貨物はC56が牽いていました。その中で登場した準急「かくだ」は越後線唯一の優等列車で、新潟-柏崎1時間40分は、信越本線経由よりも早かったのかもしれません。車輌はキハ58系だったはずですが、記念急行券の絵は何故かキハ82系の特急のように見えます。





こちらは羽越本線に新設された急行「羽越」です。当時の羽越本線の新潟経由の優等列車は、たしか昼行特急の「白鳥」と寝台急行の「日本海」だけで、ほとんどがC57、D51の牽く普通列車だったと思います。使用された車輌はキハ58系で、坂町までは米坂線の急行「あさひ1号」と併結でした。こちらは写真なので、キハ58が写っていますね。





中学生の時の撮影旅行で使用した乗車券が残っていました。当時は「券もらえますか?」で使用済みの乗車券を簡単に貰えたようですね。越後線の白山から北陸本線有間川までが460円、新潟から米坂線の手ノ子は390円です。驚く程安いですが、当時の中学生の小遣いは月に数百円ですから、僅かな貯金と親からの特別援助でもなければ年に数回が限度です。ちなみに、モノクロフィルムの現像が1本80円で、とりあえず現像したネガの中でよさそうなものだけを手札版で1枚焼くのが精一杯。そのせいか、時折古いネガの中に自分でもよくわからない車輌を発見して感嘆することもありました。







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