宮崎駅
  1973年は丁度日豊本線宮崎電化の年だったと思います。構内には既に架線柱が立ち始めていましたが、宮崎機関区には宮崎以北、延岡までの区間を走るC61と、宮崎以南鹿児島まで、吉都線経由吉松までの区間に運用するC57が多数配置され、吉松区のC55も宮崎まで顔を出していました。この頃には構内への立入りが制限されていることが多く、宮崎機関区も公開日が決っていましたが、幸いにも駅のホームから機関区や機待線の機関車を間近に見ることができたので、公開日でなくともホームで長時間楽しむことができました。また、私にとって初めての生きたハドソンC61を見たことも忘れられません。大分区のDF50の牽く20系寝台特急「富士」「彗星」やキハ82系の特急「にちりん」など、貴重な列車もたくさん目の前を通過していきましたが、さしみのツマのように感じていたことが今ではとてももったいなく思います。
この頁は宮崎駅に出入りしていた列車の写真を中心に掲載します。
注)門鉄デフ(小工式)のタイプ名は有名な関崇博氏の文献(RAILFAN206-1091.1)を参考に表記しました



宮崎を発車する上り旅客列車534レの牽引機はC5766[宮]。標準デフの一次型C57はなんとなく九州らしくない印象を受ける。   1973.3.31 宮崎






宮崎を発車する特急「彗星」24レは大分のDF50543が牽く20系ブルートレイン。この時期の日豊本線経由の寝台特急は大分〜鹿児島間を大分区のDF50が担当していた。今になって改めて眺めると何と魅力的な列車だったのだろう。   1973.3.31 宮崎






同じく宮崎を発車する日豊本線の上り貨物列車590レは宮崎でC57からバトンタッチされた南延岡区のD51541が牽引する。鹿児島から北上する上り貨物列車は宮崎までの山線をC57が、延岡までの平坦線をD51が牽引するという不思議な運用だった。 1973.3.31 宮崎






宮崎を発車する上り旅客列車536レの牽引機はC6118[宮]。東北本線青森電化によってはるばる盛岡からやってきたカマは補助燈の台座と旋回窓にその面影を残す。日豊本線宮崎以北の旅客列車を牽いていたC61だが、その任もあと僅かで終了する。これも初めて見るハドソン機に感激の瞬間だった。   1973.3.31 宮崎






宮崎を発車する上り旅客列車8206レの牽引機はDF50534[大]。当時の配置表では大分区には21輌もの500番台(MAN)のDF50が配置され、宮崎-大分間の旅客列車に運用されていた。   1973.3.31 宮崎






C57154[吉]の牽く貨1590レは吉都線経由で吉松からやってくる貨物列車。C57154のデフは標準K-7タイプだが、C57用にしては上下の寸法が若干大きいように見える   1973.4.3 宮崎






既に架線柱の立並ぶ構内でキハ82系の特急「にちりん」の上り下りが交換する。広い構内にはC57の他にも日南線のC11やキハ10系の気動車が居並ぶ。   1973.4.3 宮崎






宮崎を発車する下り客1523レの牽引機は標準デフのC57113[宮]。磨かれた車体は日光が反射して白く光る。  1973.4.3 宮崎






宮崎を発車する下り客1523レの牽引機は門鉄デフK-7タイプのC57109[宮]。  1973.3.31 宮崎







宮崎を発車する日南線貨1693レの牽引機はC11145[志]。  1973.3.31 宮崎







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