越後線のC56
  越後線のDC化は早かったと聞いています。私がカメラをもちはじめた1967年頃は、1日2往復の定期貨物列車と臨時列車を東新潟機関区のC56が牽いていました。当時のメンバーはC5693 99 133 141 145の5輌。夜半過ぎに新潟を出発する列車があり、学校町にあった私の家まで、汽笛とブラスト音が聞こえてきました。
この頃は毎年春になると弥彦神社の祭にあわせて越後線の臨時客レが運転されましたが、これはDCではなくC56牽引の客レでした。大雪などで信越線が不通になると、日本海縦貫の急行「日本海」が越後線経由となり、C56の重連で運転されるというような話は聞きましたが、そんな幸運は稀にしかないこと。この列車は不定期とはいえ、毎年見ることのできる数少ないC56の旅客列車でした。
今考えると、大河津分水の鉄橋や蒲原の水田地帯など、良い撮影ポイントはたくさんあったはずですが、C56の写真はあまり残っていません。撮影可能な時間帯に走る列車が少なすぎたため、お金をかけて出かけることができなかったのだと思いますが、残念でしかたがありません。

新潟から二つ目の関屋駅には地元の子供たちが硫酸会社と呼んでいた化学工場の引込み線があり、貨物列車が到着すると、しばらくの間C56の入換風景をみることができた。 1968.3.19 関屋






引込み線に入っていくC5699[東新] 遠方に見えるのが硫酸会社のプラント 1968.3.19 関屋






C5699[東新] 関屋 1968.3.19 1968.3.19 関屋






C56145[東新]の牽く下り貨レ 関屋-白山 1968.3.19






C5693[東新] 越後線9619レ 新潟-白山 1968.5.5






C56141[東新] 越後線9612レ 関屋-小針 1968.5.28






C5699[東新] 越後線181レ 新潟駅 1968.9.29






C5693[東新] 越後線181レ 新潟駅 1967






C56141[東新]  東新潟機関区 1968.9.15






C56145[東新]  東新潟機関区 1968.9.15






C56145[東新]  東新潟機関区 1968.9.15






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