DCの記録 | |
1960年代の後半は越後線、白新線の普通列車を中心にかなりの数のディーゼルカーが新潟に配置されていました。ローカル線の普通列車でもキハ10系、キハ20系を中心に新鋭のキハ35やキハ45をごちゃ混ぜにしたかなり長い編成でしたし、長距離列車は、名古屋行の急行「赤倉」、金沢行の急行「しらゆき」がキハ58系、日本海縦貫の特急「白鳥」がキハ82系で、急行でもキロ28を2両もつないだ豪華編成だったような記憶があります。このほかに、磐越西線郡山行の急行「あがの」や米坂線経由山形行の急行「あさひ」はキハ55系が使われていました。 私は、当時は蒸気機関車しか眼中になく、ディーゼルカーにはほんとんど興味がわかなかったので、僅かな小遣いで買った貴重なフィルムをそれに使おうという気は全くなく、ここに紹介するDCの写真は蒸機列車の待ち時間などに何気なく撮影したものばかりです。 先日、糸魚川を通った時にたまたま国鉄標準色のキハ52に遭遇しましたが、当時は何の変哲もない車両が今では宝物のように大切に扱われているのを見ると鉄道趣味のブランクが如何に長かったかを痛切に感じます。そんなことから、このコーナーでは当時のDCの写真を箱の中から掘り出して、古い順番に並べてみました。 |
新潟駅を出発するキハ82系の特急「白鳥」 後ろに見える矢印の広告塔のある建物は新潟駅前のシンボルだった「マルタケビル」。学生時代に東京から帰省する際、「とき」が越後石山を過ぎたあたりから前方左側に見えるこの矢印マークのネオンに何ともいえない安堵感を覚えたものだった。 1967.3.2 |
新潟駅裏の気動車区に留置されたキハ4532は新製配置から間もない頃 1967 |
キハ45×5+キハ17+キハ55という豪華編成の越後線普通列車 新潟駅 1967.10.10 |
当時に新潟駅に隣接していた気動車区に佇む国鉄標準色のキハ 新潟駅 1967.10.10 |
青山の雑木林を行く越後線の普通列車はバス窓キハ17とキハ35の混合編成。後ろに見えるのは当時、青山脳病院と呼んでいた精神科の病棟だと思う。この風景は数年後に完成した信濃川の関屋分水路により消滅した。 越後線148D 関屋-小針 (当時は青山駅はまだなかった).1968.3.19 |
残雪の信越本線をいく普通列車はキハ30、キハ20、キハ17の混合。信越本線326D 長鳥-越後広田 1968.3.31 |
標準窓のキハ58が連なる金沢行の急行「しらゆき」 504D 信越本線長鳥 1968.3.31 |
柱が一本もない一直線の旧阿賀野川鉄橋を渡る白新線の普通列車はキハ55とキハ58混成の9連 大潟-新崎 1968.4.21 |
新崎駅を発車する白新線の普通列車。これもキハ55とキハ58の混成だ 新崎 1968.4.21 |
越後線に投入されたばかりの新鋭キハ35の普通列車。 新潟-白山 1968.5.5 |
キハ17の羽越本線の普通列車。 956Dレ 中条 1968.8.23 |
坂町から羽越線の急行を連結して長編成となった山形からの急行「あさひ2号」 先頭のキハ58はパノラミックウィンドウタイプで当時の最新型 614Dレ 中条 1968.8.23 |
秋の米坂線をいくキハ55の急行「あさひ1号」 612Dレ 羽前沼沢ー伊佐領 1968.11.23 |
雪煙をあげて宇津峠に向かうキハ55,58の急行「あさひ1号」 612Dレ 羽前沼沢ー伊佐領 1968.12.28 |
新津駅を発車するキハ82系の特急「白鳥」 2001Dレ 新津 1969.1.26 |
北陸本線、信越線経由で上野ー金沢を走ったキハ82系の初代特急「はくたか」 1001Dレ 郷津ー谷浜 1969.3.15 |
堂々たる13編成のキハ82系が春の北陸旧線を行く 特急「白鳥」 2002Dレ 郷津ー谷浜 1969.3.15 |
磐越西線を走る急行「あがの1号」 シールドビームのキハ55 613Dレ 日出谷ー豊実 1969.8.14 |
磐越西線の普通列車 キハ17の226Dレ 日出谷ー豊実 1969.8.14 |
磐越西線の急行「いいで」1103Dレ たった3両だが、冷房付きのキロ28を中央に挟んだ急行編成だ。連結扉を開放した後方のデッキにまで人があふれている昔ならではの風景だ。 日出谷ー豊実 1969.8.14 |
米坂線の普通列車と思っていたが、当時の記録では急行「あさひ1号」612Dレ 本当ならこの日は何故か先頭がキハ25になっている。 越後金丸ー越後片貝 1971.4.4 |
奥羽本線の「つばさ」の後に一時的に使用されたキハ81系の特急「いなほ」 2012D この時代は上野ー秋田を走るDC特急だった。 羽越本線 新津-京ヶ瀬 1970.12.20 |