信濃川河畔のC51239
  昭和30年代の前半、新潟地区の旅客用蒸気機関車は老朽化したC51が中心で、度重なるC57の増備の要請にもかかわらず、転属してくるのは中央で第一線を退いたC51ばかりであった、という記事を見たことがあります。お召し列車専用機として首都圏に残っていたC51236とC51239は、大任を終えた後、余生を送りに新潟へやってきた機関車でした。
C51239は昭和38年に廃車された後、その輝かしい経歴から、準鉄道記念物にされ、片面を切開した状態で信濃川の八千代橋の橋詰にあった鉄道教習所に保管されていました。
1964年(昭和39年6月)の新潟地震で、この信濃川の河岸一帯は液状化現象のために大変な被害を受け、ほとんどの建物が取り壊されてしまいましたが、このC51239だけは動かす術もなく、河岸にポツンとたたずんでいました。私が見たのはこの時のC51239です。
最初にこの機関車を見つけた時は、まだ正面のナンバープレートがありましたが、それもすぐになくなり、見るたびに荒れ果てていく様子に心が痛みましたが、まさか、五体満足の状態に復元され扇型機関庫の中で保存されることになろうとは、想像もできませんでした。
このC51239が、唯一私の見た本物のC51ですが、荒れ果てていてもその美しさの片鱗は隠しようがなく、この機関車との出会いが未だに国鉄史上最も美しい機関車はC51だったと信ずる所以でもあります。







1967.3.21





1968.9.15





1968.9.15











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