D51型 (その3) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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D511001 | D511001は昭和19年の三菱重工製です。新津機関区に所属し羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。1001はカマボコドームと船底テンダをもつ本格的な戦時型のトップナンバーです。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺や蒸気排気管カバーが長野工場タイプです。戦局が悪くなった昭和19年〜20年は米軍の爆撃を避けるために、鉄道による物資輸送は日本海側を中心に行ったという話を聞いたことがありますが、そのせいか羽越路には戦時型のD51が多かったように感じたのは私だけでしょうか。1957年の配置は長岡第一機関区ですので信越線も走ったカマだと思います。羽越線電化により木曽福島へ転出し1973年に廃車となりました。長野県の更埴市民センターというところに保存されているそうです。 |
D511001[新] 新津 1968.4.29 |
D511002 | D511002は昭和19年の三菱重工製です。坂町機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。1002もカマボコドームと船底テンダをもつ戦時型です。装備は1001と同じで、テンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様、ドーム前の手摺や蒸気排気管カバーが長野工場タイプです。1957年の配置も坂町で、長い間羽越路を走ったカマだと思います。羽越線電化により1972年に酒田で廃車となりました。 |
D511002[坂] 新津 1969.1.26 |
D511005 | D511005は昭和19年の三菱重工製です。坂町機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。1005もカマボコドームと船底テンダをもつ戦時型ですが、縁板が厚く上端の折れていない平板デフに当時の名残があります。砂撒管は戦時型の標準より多い3本です。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、1001、1002と異なり、ドーム前の手摺と煙室扉のエプロンが土崎タイプで、蒸気排気管カバーも撤去されています。1957年の配置は酒田、1965年は坂町で、長い間羽越路を走ったカマです。羽越線電化により1972年に新津で廃車となりました。 |
D511005[坂] 坂町 1970.8.14 |
D511030 | D511030は昭和19年の三菱重工製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。1030はカマボコドームと船底テンダをもつ本格的な戦時型ですが、先輪はスポークです。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺が長野工場タイプです。1957年の配置も新津区で、長い間新津を離れなかったカマです。羽越線電化により1972年に廃車となりました。あちこちで遭遇したカマで、新津を代表するD51の1台だと思います。 |
D511030[新] 新津 1972 |
D511031 | D511031は昭和19年の三菱重工製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。1031もカマボコドームと船底テンダをもつ本格的な戦時型です。戦時型のテンダは標準型よりも高さが高く、キャブ側の斜めの切欠きが大きいことが、下の写真ではよくわかります。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺が長野工場タイプです。1957年の配置も新津区で、1030と共に長い間新津を離れなかったカマです。羽越線電化により山陰の長門へ転出し1973年に廃車となりました。 |
D511031[新] 坂町 1968.8.23 |
D511031[新] 新津 1969.12.24 |
D511046 | D511046は昭和19年の三菱重工製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。1046はカマボコドームと船底テンダをもつ本格的な戦時型ですが、先輪はスポークです。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺が長野工場タイプです。1957年の配置も新津区ですが、1966年頃には直江津にいたようです。その後新津へ戻り、羽越線電化により山陰の長門へ転出し1973年に廃車となりました。 |
D511046[新] 東新潟 1967.10.10 |
D511049 | D511049は昭和19年の三菱重工製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ本格的な戦時型で、先輪はプレートです。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺が長野工場タイプです。1957年の配置も新津区で、長い間新津を離れなかったカマです。最後まで新津に残り、羽越線電化により1973年に廃車となりました。1049もあちこちで遭遇したカマで、新津を代表するD51の1台だと思います。 |
D511049[新] 新津 1969.8.14 |
D511060 | D511060は昭和19年の日立製作所製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。1000番台の戦時型ですが、ドームはカマボコではなく標準型と同じタイプに改造されており、先輪はスポークです。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺が長野工場タイプです。1957年の配置も新津区で、長い間新津を離れなかったカマです。最後まで新津に残り、羽越線電化により1973年に廃車となりました。新津の主だったわりには縁がなく、写真はこれだけです。 |
D511060[新] 新津 1968.12.1 |
D511065 | D511065は昭和19年の日本車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ戦時型です。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺、煙室扉のエプロンが土崎工場タイプです。1957年の配置も新津区で、長い間新津を離れなかったカマですが、最後は酒田へ転属し、羽越線電化により1972年に廃車となりました。 |
D511065[酒] 羽越本線 今川-越後寒川 1971.4.4 |
D511080 | D511080は昭和19年の日本車輌製です。長岡機関区に所属し、信越本線本線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ戦時型で、斜めの切欠きが小さく上端の折れていない平板デフが1080の特徴です。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺、煙室扉のエプロンが土崎工場タイプのようです。1966年の配置は酒田で、羽越線も走っていたカマです。信越線電化により山陰の長門へ転出し1973年に廃車となりました。特徴あるデフと短めの煙突が印象に残るカマでした。 |
D511080[長岡] 信越本線 笠島 1968.3.31 |
D511100 | D511100は昭和19年の日本車輌製です。坂町機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ戦時型です。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野工場タイプです。1957年の配置も坂町で、長い間坂町を離れなかったカマです。羽越線電化により1972年に坂町で廃車となりました。 |
D511100[坂] 羽越本線 今川-越後寒川 1971.4.4 |
D511107 | D511107は昭和19年の日本車輌製です。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ戦時型です。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺と蒸気排気管カバーが長野工場タイプです。1957年の配置は長岡ですが、1965年には新津に転属しています。羽越線電化により1972年に新津で廃車となりました。1107もあちこちで遭遇した馴染み深いカマでした。 |
D511107[新] 新津 1969.8.17 |
D511110 | D511110は昭和19年の日本車輌製です。直江津機関区に所属し、信越本線本線の列車を牽いていました。カマボコドームと船底テンダをもつ戦時型で、縁取り部分が厚く上端の折れていない平板デフが1110の特徴です。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様でドーム前の手摺は長野工場タイプです。1965年の配置は酒田で、羽越線も走っていたカマです。信越線電化により古巣の酒田へ戻り、1972年に廃車となりました。特徴あるデフが印象に残るカマでした |
D51110[直] 信越本線 長鳥 1968.3.31 |
D511133 | D511133は昭和19年の川崎車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。船底テンダをもつ戦時型ですが、ドームは標準型です。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎工場タイプです。1957年の配置も酒田で、長い間酒田を離れなかったカマです。羽越線電化により1972年に酒田で廃車となりました。 |
D511133[酒] 新津 1969.8.14 |