D51型 (その2) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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D51396 | D51396は昭和14年日本車輌製の機関車です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様です。最大の特徴は長工式デフで、135とは後方ステーの位置が若干異なるタイプです。1965年の配置は長岡で、羽越線電化を待たずに1971年に酒田で廃車になりました。笹川流れでの撮影などで何度か遭遇した、印象に残るカマでした。 |
D51396[酒] 東新潟 19668.12.18 |
D51404 | D51404は昭和15年日本車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により長岡で1969年に廃車となりました。 |
D51404[直] 直江津 1969.3.15 |
D51417 | D51417は昭和15年日本車輌製です。会津若松機関区で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。青森へ転出しで1971年に廃車となりました。新津で度々出会ったカマでした。 |
D51417[会] 新津 1969.4.29 |
D51431 | D51431は昭和15年日本車輌製です。長岡第一機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も長岡第一となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。装備が適していたのか、信越線電化により酒田へ転出し、1972年に廃車となりました。 |
D51431[長岡] 笠島 1968.3.31 |
D51435 | D51435は昭和15年日本車輌製です。会津若松機関区で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置も会津若松で、ずっと磐越西線を走ったカマと思われます。山陰の長門へ転出して1974年に廃車となるまで生き延びました。なお、このD51435のナンバープレートは、那須高原の「レストラン蒸気機関車」に展示してあり、オーナーのご依頼とご好意によりこの写真も展示して頂いています。 |
D51435[会] 新津 1968.2.15 |
D51486 | D51486は昭和15年の鉄道省長野工場製です。長野工場では9輌のD51が造られましたが、486はその中の製番6という珍品でした。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により直江津で1969年に廃車となりました。JR東日本総合車輌所に保存されたという記録があります。 |
D51486[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1963.30 |
D51487 | D51487は昭和15年の鉄道省土崎工場製です。土崎工場においても9輌のD51が造られましたが、487はその中の製番6という珍品で、奇しくも長野工場製の486と同じ製番です。長岡第一機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。1965年の配置は酒田で、羽越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により長岡で1969年に廃車となりました。 |
D51487[長岡] 信越本線 長鳥-越後広田 1963.31 |
D51498 | D51498は昭和15年の鉄道省鷹取工場製です。鷹取工場製のD51は58輌あり、鉄道省の工場としては浜松の70輌に次ぐ数です。498はこの中の製番26になりますが、これが言わずと知れた動態保存機の生い立ちです。498の装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーが残っていることから、長野工場で保守されていたことが覗えます。1965年の配置は長岡第一となっているので、信越本線も走っていたのでしょう。1972年に廃車となった後は、全国の蒸機ファンが知っているとおりです。当時は数あるD51の中の1台で、当然特別な意識などありませんでしたが、ネガを辿れば何度も出会っていたカマでした。 |
D51498[新] 坂町 1970.8.14 |
D51502 | D51502は498と同じ昭和15年の鉄道省鷹取工場製です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の五角形の手摺は長野タイプです。1965年の配置は新津で、ずっと羽越本線を走っていたのでしょう。羽越線電化により1972年に酒田で廃車となりました。現在は東京葛飾区の砂原公園というところにあるとか。比較的良い状態であることいいのですが。 |
D5102[酒] 新津 1972.12.10 |
D51512 | D51512は昭和15年の鉄道省大宮工場製です。500番前後は工場製のD51がつながります。大宮工場では30台のD51が造られており、512はこのうちの製番25になります。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーが残っていることから、長野工場で保守されていたことが覗えます。長い間新津機関区に所属していたカマで、512も新津を代表するD51の1台といえるでしょう。現在は新発田市の公園に保存されていますが、NABEXサイトの記述では、あまり良好な状態ではないとか。印象の強いカマだっただけに残念です。 |
D51512[新] 新津 1968.12.15 |
D51529 | D51529は昭和16年鉄道省浜松工場製です。糸魚川機関区に所属し、北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型重油タンクを載せた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は富山となっているので、ずっと北陸筋を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川から転出し、最後は1972年に山口の厚狭機関区を最後に廃車となりました。 |
D51529[糸] 直江津 1969.3.15 |
D51563 | D51563は昭和16年の鉄道省苗穂工場製です。苗穂工場では12輌のD51が造られましたが、563は製番12のラストナンバーです。会津若松機関区(磐越西線管理所)で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。青森へ転出しで1971年に廃車となりましたが、僚友417と同じ運命を辿ったようです。 |
D51563[会] 磐越西線 日出谷-豊実 1969.8.17 |
D51609 | D51609は昭和16年の日立製作所製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。1965年の配置は長岡で、信越本線も走っていたと思われます。羽越線電化により新津で1972年に廃車となりました。上の写真はランボードに白線のない酒田時代のものです。 |
D51609[酒] 新津 1969.9.14 |
D51617 | D51617は昭和16年日本車輌製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は糸魚川となっているので、ずっと北陸を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川で廃車となりました。この写真も6x6版リコーフレックスのピントが決まった数少ない1枚です。 |
D51617[糸] 直江津 1969.3.15 |
D51618 | D51618は昭和16年日本車輌製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。また、前照燈にひさしがついています。1965年の配置は稲沢第一となっているので、兄弟機617と同じ足取りは辿っていないようです。1969年の電化により転出し、1971年に山陰の米子で廃車となりました。 |
D51818[糸] 直江津 1969.3.15 |
D51626 | D51626は昭和16年の日本車輌製です。会津若松機関区(磐越西線管理所)で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。磐越西線の無煙化により1971年に会津若松で廃車となりました。 |
D51626[会] 新津 1969.4.29 |
D51681 | D51681は昭和17年の日本車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。また、製造当初からではないと思いますが、戦時復旧型のような平板のデフレクタを装備しています。1965年の配置は酒田で、ずっと羽越本線を走っていたのでしょう。羽越線電化により新津で1972年に廃車となりました。 |
D51681[酒] 坂町 1970.4.4 |
D51723 | D51723は昭和18年の日立製作所製です。新津機関区で羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーがあることから、長野工場で保守されていたことがわかります。1965年も新津の配置となっているので、ずっと新鉄管内を走っていたのではないでしょうか。羽越線電化前に転出し、1971年に岡山県の新見機関区で廃車となりました。最後に重装備を纏い伯備線の布原を走ったのかもしれません。 |
D51723[新] 磐越西線 鹿瀬-日出谷 1969.8.17 |
D51767 | D51767は昭和18年の川崎車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。この写真では何故かD51722のスノウプラウを付けています。1965年の配置は尻内で、東北本線筋から日本海側に流れてきたことがわかります。羽越線電化により北海道へ転出し、追分で1976年3月まで生き延びました。 |
D51767[酒] 東新潟 19668.12.18 |
D51775 | D51775は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は糸魚川となっているので、ずっと北陸を走ってきたカマと思われます。1969年の北陸線電化により転出し、木曽福島で1973年に廃車となりました。木曽福島の駅前に保存してあるそうです。 |
D51775[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15 |
D51776 | D51776は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様ですが、775と違い集煙装置は長野式です。1965年の配置は上諏訪となっており、装備からも長野の山育ちと思われます。兄弟機775とは偶然糸魚川で出会ったのでしょう。1969年の北陸線電化により転出し、古巣の中央線中津川で1971年に廃車となりました。 |
D51776[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15 |
D51784 |
D51784は昭和17年の汽車会社製です。新津機関区で羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置はなんと門司機関区で、はるばる九州からやってきたカマです。羽越線電化により、1972年に新津で廃車となりました。 |
D51784[新] 新津 1969.9.15 |
D51785 |
D51785は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様ですが、集煙装置は長野式です。上の写真でも長野式の特徴である前側の開口と、ランボードとボイラの間にある蒸気排気管カバーが確認できます。1965年の配置は新津ですから、きっと羽越線、磐越西線を走っていたカマです。1969年の北陸線電化により糸魚川で廃車となりました。 |
D51785[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15 |
D51932 | D51932は昭和18年川崎車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。この932も準戦時型に属しますが、標準型のドームに直されているので、外見上は全くわかりません。1965年の配置は長岡第一となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。装備が適していたのか、信越線電化により酒田へ転出し、1972年に廃車となりました。 |
D51932[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1968.3.31 |
D51933 | D51933は昭和18年川崎車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。兄弟機932と異なり、装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺と、正面煙室扉下のエプロンも土崎タイプです。933も準戦時型に属しますが、932と同様外見上は全くわかりません。1965年の配置は酒田となっており、装備からも推察できるように、信越本線の前に羽越本線を走っていたと思われます。932と違い信越線仕様だったせいか、電化により青森へ転出し、1970年に廃車となりました。 |
D51933[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1968.3.31 |