D51型 (その2)

D5128 D51101 D51247 D51396 D51502 D51681 D511001 D511065
D5129 D51104 D51268 D51404 D51512 D51723 D511002 D511080
D5135 D51128 D51290 D51417 D51529 D51767 D511005 D511100
D5136 D51129 D51292 D51431 D51563 D51784 D511030 D511107
D5163 D51135 D51301 D51435 D51609 D51785 D511031 D511110
D5174 D51142 D51324 D51486 D51617 D51932 D511046 D511133
D5182 D51178 D51335 D51487 D51618 D51933 D511049 NEXT
D5188 D51185 D51379 D51498 D51626 D511060 BACK



D51396 D51396は昭和14年日本車輌製の機関車です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様です。最大の特徴は長工式デフで、135とは後方ステーの位置が若干異なるタイプです。1965年の配置は長岡で、羽越線電化を待たずに1971年に酒田で廃車になりました。笹川流れでの撮影などで何度か遭遇した、印象に残るカマでした。
D51396[酒] 東新潟 19668.12.18





D51404 D51404は昭和15年日本車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により長岡で1969年に廃車となりました。 
 
D51404[直] 直江津 1969.3.15





D51417 D51417は昭和15年日本車輌製です。会津若松機関区で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。青森へ転出しで1971年に廃車となりました。新津で度々出会ったカマでした。

D51417[会] 新津 1969.4.29





D51431 D51431は昭和15年日本車輌製です。長岡第一機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も長岡第一となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。装備が適していたのか、信越線電化により酒田へ転出し、1972年に廃車となりました。

D51431[長岡] 笠島 1968.3.31





D51435 D51435は昭和15年日本車輌製です。会津若松機関区で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置も会津若松で、ずっと磐越西線を走ったカマと思われます。山陰の長門へ転出して1974年に廃車となるまで生き延びました。なお、このD51435のナンバープレートは、那須高原の「レストラン蒸気機関車」に展示してあり、オーナーのご依頼とご好意によりこの写真も展示して頂いています。
D51435[会] 新津 1968.2.15





D51486 D51486は昭和15年の鉄道省長野工場製です。長野工場では9輌のD51が造られましたが、486はその中の製番6という珍品でした。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により直江津で1969年に廃車となりました。JR東日本総合車輌所に保存されたという記録があります。

D51486[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1963.30





D51487 D51487は昭和15年の鉄道省土崎工場製です。土崎工場においても9輌のD51が造られましたが、487はその中の製番6という珍品で、奇しくも長野工場製の486と同じ製番です。長岡第一機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。1965年の配置は酒田で、羽越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により長岡で1969年に廃車となりました。 

D51487[長岡] 信越本線 長鳥-越後広田 1963.31





D51498 D51498は昭和15年の鉄道省鷹取工場製です。鷹取工場製のD51は58輌あり、鉄道省の工場としては浜松の70輌に次ぐ数です。498はこの中の製番26になりますが、これが言わずと知れた動態保存機の生い立ちです。498の装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーが残っていることから、長野工場で保守されていたことが覗えます。1965年の配置は長岡第一となっているので、信越本線も走っていたのでしょう。1972年に廃車となった後は、全国の蒸機ファンが知っているとおりです。当時は数あるD51の中の1台で、当然特別な意識などありませんでしたが、ネガを辿れば何度も出会っていたカマでした。
D51498[新] 坂町 1970.8.14





D51502 D51502は498と同じ昭和15年の鉄道省鷹取工場製です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の五角形の手摺は長野タイプです。1965年の配置は新津で、ずっと羽越本線を走っていたのでしょう。羽越線電化により1972年に酒田で廃車となりました。現在は東京葛飾区の砂原公園というところにあるとか。比較的良い状態であることいいのですが。
D5102[酒] 新津 1972.12.10





D51512 D51512は昭和15年の鉄道省大宮工場製です。500番前後は工場製のD51がつながります。大宮工場では30台のD51が造られており、512はこのうちの製番25になります。新津機関区に所属し、羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーが残っていることから、長野工場で保守されていたことが覗えます。長い間新津機関区に所属していたカマで、512も新津を代表するD51の1台といえるでしょう。現在は新発田市の公園に保存されていますが、NABEXサイトの記述では、あまり良好な状態ではないとか。印象の強いカマだっただけに残念です。
D51512[新] 新津 1968.12.15





D51529 D51529は昭和16年鉄道省浜松工場製です。糸魚川機関区に所属し、北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型重油タンクを載せた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は富山となっているので、ずっと北陸筋を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川から転出し、最後は1972年に山口の厚狭機関区を最後に廃車となりました。
D51529[糸] 直江津 1969.3.15





D51563 D51563は昭和16年の鉄道省苗穂工場製です。苗穂工場では12輌のD51が造られましたが、563は製番12のラストナンバーです。会津若松機関区(磐越西線管理所)で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。青森へ転出しで1971年に廃車となりましたが、僚友417と同じ運命を辿ったようです。
D51563[会] 磐越西線 日出谷-豊実 1969.8.17





D51609 D51609は昭和16年の日立製作所製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。1965年の配置は長岡で、信越本線も走っていたと思われます。羽越線電化により新津で1972年に廃車となりました。上の写真はランボードに白線のない酒田時代のものです。
D51609[酒] 新津 1969.9.14





D51617 D51617は昭和16年日本車輌製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は糸魚川となっているので、ずっと北陸を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川で廃車となりました。この写真も6x6版リコーフレックスのピントが決まった数少ない1枚です。
D51617[糸] 直江津 1969.3.15





D51618 D51618は昭和16年日本車輌製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。また、前照燈にひさしがついています。1965年の配置は稲沢第一となっているので、兄弟機617と同じ足取りは辿っていないようです。1969年の電化により転出し、1971年に山陰の米子で廃車となりました。
D51818[糸] 直江津 1969.3.15





D51626 D51626は昭和16年の日本車輌製です。会津若松機関区(磐越西線管理所)で磐越西線の列車を牽いていました。装備は、前照燈がシールドビーム2燈、テンダに大型重油タンクを載せた会津仕様です。1965年の配置は長町となっており、東北南部を走ったカマと思われます。磐越西線の無煙化により1971年に会津若松で廃車となりました。
D51626[会] 新津 1969.4.29





D51681 D51681は昭和17年の日本車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。また、製造当初からではないと思いますが、戦時復旧型のような平板のデフレクタを装備しています。1965年の配置は酒田で、ずっと羽越本線を走っていたのでしょう。羽越線電化により新津で1972年に廃車となりました。
D51681[酒] 坂町 1970.4.4





D51723 D51723は昭和18年の日立製作所製です。新津機関区で羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の五角形の手摺や、ランボードとボイラの接合部にある蒸気排気管カバーがあることから、長野工場で保守されていたことがわかります。1965年も新津の配置となっているので、ずっと新鉄管内を走っていたのではないでしょうか。羽越線電化前に転出し、1971年に岡山県の新見機関区で廃車となりました。最後に重装備を纏い伯備線の布原を走ったのかもしれません。
D51723[新] 磐越西線 鹿瀬-日出谷 1969.8.17





D51767 D51767は昭和18年の川崎車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は土崎タイプです。この写真では何故かD51722のスノウプラウを付けています。1965年の配置は尻内で、東北本線筋から日本海側に流れてきたことがわかります。羽越線電化により北海道へ転出し、追分で1976年3月まで生き延びました。
D51767[酒] 東新潟 19668.12.18





D51775 D51775は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は糸魚川となっているので、ずっと北陸を走ってきたカマと思われます。1969年の北陸線電化により転出し、木曽福島で1973年に廃車となりました。木曽福島の駅前に保存してあるそうです。
D51775[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15





D51776 D51776は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様ですが、775と違い集煙装置は長野式です。1965年の配置は上諏訪となっており、装備からも長野の山育ちと思われます。兄弟機775とは偶然糸魚川で出会ったのでしょう。1969年の北陸線電化により転出し、古巣の中央線中津川で1971年に廃車となりました。
D51776[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15 





D51784
D51784は昭和17年の汽車会社製です。新津機関区で羽越本線、磐越西線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置はなんと門司機関区で、はるばる九州からやってきたカマです。羽越線電化により、1972年に新津で廃車となりました。

D51784[新] 新津 1969.9.15 





D51785
D51785は昭和17年の汽車会社製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様ですが、集煙装置は長野式です。上の写真でも長野式の特徴である前側の開口と、ランボードとボイラの間にある蒸気排気管カバーが確認できます。1965年の配置は新津ですから、きっと羽越線、磐越西線を走っていたカマです。1969年の北陸線電化により糸魚川で廃車となりました。
D51785[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15 





D51932 D51932は昭和18年川崎車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。この932も準戦時型に属しますが、標準型のドームに直されているので、外見上は全くわかりません。1965年の配置は長岡第一となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。装備が適していたのか、信越線電化により酒田へ転出し、1972年に廃車となりました。
D51932[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1968.3.31 





D51933 D51933は昭和18年川崎車輌製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。兄弟機932と異なり、装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺と、正面煙室扉下のエプロンも土崎タイプです。933も準戦時型に属しますが、932と同様外見上は全くわかりません。1965年の配置は酒田となっており、装備からも推察できるように、信越本線の前に羽越本線を走っていたと思われます。932と違い信越線仕様だったせいか、電化により青森へ転出し、1970年に廃車となりました。
D51933[直] 信越本線 長鳥-越後広田 1968.3.31 




       

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