D51型(その1)
 1960年代の後半、新潟県内を走る D51は酒田、坂町、新津、会津若松、長岡、直江津、糸魚川の7つの機関区に配置されていましたが、大きくは、羽越本線、磐越西線の運用で新津に集まるグループと、信越本線、北陸本線の運用で直江津に集まるグループとに分けられ、それぞれ異なる装備を施されていました。旋回窓とキャブ屋根延長はほとんど全てのD51に共通する装備ですが、重油タンクと集煙装置に各機関区の受持ち線区の特徴が表れています。羽越線・磐越西線仕様のD51は、全機テンダ上に1500Lの大型の重油タンクを装備していましたが、直江津で見たD51は必ずしも同じではありませんでした。推測ですが、ドームの後方に680Lの小型重油タンクをのせた長岡と直江津のD51が信越線仕様、それに集煙装置を装備した糸魚川のD51がトンネルの多い北陸本線仕様だと考えられます。しかし、信越本線の長岡〜直江津を走っていたD51の中にはテンダ上に大型重油タンクを装備していたものもあり、後に直江津電化によって新津に転属してきたカマもいるので、何が標準とはいえないところもあるようです。
ここでは他の形式と同じように、私がカメラに収めることのできたD51をわかる範囲の略歴付きで紹介します。
D5128 D51101 D51247 D51396 D51502 D51681 D511001 D511065
D5129 D51104 D51268 D51404 D51512 D51723 D511002 D511080
D5135 D51128 D51290 D51417 D51529 D51767 D511005 D511100
D5136 D51129 D51292 D51431 D51563 D51784 D511030 D511107
D5163 D51135 D51301 D51435 D51609 D51785 D511031 D511110
D5174 D51142 D51324 D51486 D51617 D51932 D511046 D511133
D5182 D51178 D51335 D51487 D51618 D51933 D511049 NEXT
D5188 D51185 D51379 D51498 D51626     D511060 BACK



D5128 D5128は昭和11年の川崎車輌第2期製造グループの1台です。酒田機関区で羽越本線を走っていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、なぜか砂撒管が2本に改造されているのが28の特徴です。新津の留置線で待機中の写真ですが、この時はC11269と重連で貨物列車を牽いて出発していきました。1965年の配置は長岡となっているので、ずっと新鉄局管内を走っていたカマだと思います。羽越本線の電化を前にした1971年に酒田で廃車となりました。
D5128[酒] 新津 1969.9.14





D5129 D5129も28と同じく昭和11年の川崎車輌製ですが、こちらは第3次製造グループの1台です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。1965年の配置も酒田なので、ずっと日本海筋を走っていたカマだと思います。羽越本線電化により北海道へ転出し、1973年に五稜郭で廃車となりました。新潟で写したこの写真のみの縁でした。
D5129[酒] 新潟 1968.1.23





D5135 D5135は昭和11年の川崎車輌製の28,29と兄弟機で、第3次製造グループの1台です。会津若松機関区(磐越西線管理所)で磐越西線の列車を牽いていましたが、その後青森へ転出し、1970年に廃車となりました。磐越西線の撮影旅行の時に日出谷駅で客レの通過待ちをしていた35の写真です。会津若松のカマは前照燈がシールドビーム2灯で、大型蒸機には似合わないのですが、正面の形式入りプレートが眩しいくらい美しかったのが印象的でした。
D5135[会] 日出谷 1969.8.17





D5136 D5136は昭和11年の川崎車輌製の,29、35と兄弟機で、第3次製造グループの1台です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていましたが、電化直前に新津へ転入したそうです。その後山陰の長門へ転出し、1973年に廃車となりました。
下は新津機関区で留置されている時に撮影した写真ですが、それ以外は一度も遭遇しなかったカマです。デフのバイパス弁点検窓が異様に大きく、高さの半分くらいまで切り欠いてありました。
D5136[酒] 新津 1969.4.29





D5163 D5163は昭和12年の川崎車輌製で、第5次製造グループの1台です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていましたが、63も電化直前に新津へ転入したようです。電化後は北海道へ転出し、1974年に廃車となりました。新津機関区で留置されている時に撮影した写真ですが、このカマもこの時以外は一度も遭遇しませんでした。36程ではないですが、デフのバイパス弁点検窓が大きめなのは土崎工場の特徴なのでしょうか。 
D5163[酒] 新津 1969.8.14





D5174 D5174は昭和12年の川崎車輌製で、第7次製造グループの1台です。兄弟機75とともに羽越本線の列車を牽いていました。両機ともにテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様です。74には度々遭遇する機会があったのですが、75は撮影の機会がなく、オレンジカード以外まともな写真は残っていません。74は羽越本線電化後に北海道へ転出し、1973年に鷲別で廃車となりました。75は1972年に新津で廃車となった後、上越の五智交通公園に保存されているそうです。
D5174[酒] 新津 1970.8.14





D5182 D5182は昭和12年の汽車会社製で、第3次製造グループの1台です。1965年頃には長岡機関区に所属していたようですが、1969年には新津で羽越本線・磐越西線の列車を牽いていました。羽越線電化とともに1972年に新津で廃車となりました。82は新津を代表するナメクジだと思います。新津の所属が長かったせいか、撮影のチャンスが多く、米坂線、羽越本線の旅行で乗る一番列車の833レでは何度も牽引機になったことがあり、薄暗い坂町駅の2番ホームの先で給水する姿をカメラに収めました。ドームに手摺が付いた新津のナメクジでは最も印象に残るカマでした。
D5182[新] 新津 1969.12.24

D5182[新] 坂町 1969.11.5

D5182[新] 磐越西線 日出谷-豊実 1969.8.17





D5188 D5188は昭和12年の鉄道省浜松工場製、製番21という記念すべきD51の1台です。D51は民間企業ばかりでなく、鉄道省の工場でも製造されましたが、その奔りは昭和12年に浜松工場で製造されたD5186〜90の5輌でした。これが世に言う「標準1次型」別名「第1次標準先行型」というグループです。1965年は長岡、1968年は直江津機関区に所属し、信越本線の列車を牽いていましたが、1969年の直江津電化に伴って新津へ転属し、羽越本線・磐越西線の列車を牽きました。羽越線電化後は北海道へ渡り、1975年に滝川で廃車となるまで走り続けたカマです。
D5188[直] 信越本線 1968.3.31

D5188[酒] 新津 1970.12.20





D51101 D51101は昭和13年の汽車会社製で、二桁ナンバーの標準型(86〜90)と同じ「第1次標準先行型」と呼ばれているタイプです。したがって、番号は101ですが、いわゆる標準型トップナンバーではありません。外見上はテンダ台車がなめくじと同じ鋳鉄製なのが特徴となります。101は長い間酒田区に所属し、羽越本線の列車を牽いてました。羽越線電化により新津から中津川に転出し1973年に廃車となりました。記録では静岡県島田市に保存されているそうです。この写真ではわかりませんが、機関士側の窓が箱型に突出しているのが特徴でした。
D51101[酒] 東新潟 1968.12.18





D51104 D51104は昭和13年の汽車会社製で、101と同じ第1次標準先行型です。外見上はテンダ台車がなめくじと同じ鋳鋼製なのが特徴となります。製造当初はナメクジと同様に動力逆転機を装備していましたが、手動に改造されています。また、機関士側の前面窓が箱型に突出した101と同じ改造が施されています。経歴も101と同じ足取りを辿っているようで、長い間酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。最後は羽越線電化により北海道へ転出し1974年に岩見沢で廃車となりました。
D51104[酒] 羽越本線 桑川-今川 1971.4.4





D51128 D51128は昭和13年の日立製作所製で、「第2次標準先行型」と呼ばれる、標準型の第二次試作グループ(107〜133)の1台です。従台車とテンダ台車が板台枠に変更されてるのが外観上の特徴となります。写真は電化の半年前に直江津で撮影したものですが、ドーム後方に小型の重油タンクを載せた形が信越本線の標準装備と思われます。1965年の配置は上諏訪となっているので、直江津の前は長野の山線を走っていたようです。直江津電化により転出しましたが1970年に青森で廃車となりました。この写真は6X6版リコーフレックスのピントが決まった数少ない1枚です。
D51128[直] 直江津 1969.3.15





D51129 D51129は昭和13年の日立製作所製で、128と同じ「第2次標準先行型」と呼ばれるグループ(107〜133)の1台です。兄弟機128と共に直江津機関区に所属し、信越本線の列車を牽いていました。ドームの後方に小型の重油タンクを載せた信越線仕様で、こちらはテンダ上端の側板がありません。1965年の配置は上諏訪、直江津電化により転出し1970年に青森で廃車となるなど、128と同じ道を辿りました。
D51129[直] 長鳥 1968.3.31





D51135 D51135は昭和13年日本車輌製D51の2号機となる機関車です。また量産型のと呼ばれるD51の2号機にも該当します。135は新津の在籍期間が長く、テンダ上に大型の重油タンクを装備した羽越線仕様でしたが、最大の特徴は、長野工場式の切り取りデフを装備していることです。この頃の新鉄管内では、135、324、396、735の4台が長工式デフを付けていました。記録では九州へ転出していったC574および130も長工式デフを付けていましたが、私は写真でしかみたことがありません。135は特徴あるデフのせいか特に印象が強いカマでした。羽越線電化に伴い、1972年に新津で廃車となりました。その経歴からも新津を代表するD51の1台といえるでしょう。
D51135[新] 新津 1970.8.14





D51142 D51142は135と同じ昭和13年日本車輌製の機関車です。酒田機関区で羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダ上に大型の重油タンクを装備した羽越線仕様です。1965年の配置表では長岡第一の所属となっているので、新鉄に長く在籍したカマと思われます。酒田区に所属したまま、1972年に廃車となりました。
D51142[酒] 羽越本線 新津-京ヶ瀬 1970.12.20





D51178 D51178は昭和14年日立製作所製の機関車です。糸魚川機関区に所属し、北陸本線の列車を牽いていました。この頃の北陸本線は海岸すれすれを通っていたため、トンネル・鉄橋の連続で、糸魚川のD51は全機集煙装置を装備していました。178も集煙装置とドーム後方に小型重油タンクを載せた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は富山となっているので、ずっと北陸筋を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川から転出し、最後は1972年に亀山で廃車となりました。
D51178[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15





D51185 D51185は昭和14年日立製作所製で、178と同じ製造ロットの機関車です。直江津機関区に所属し、信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた標準的な信越線仕様で、ドーム前の手摺は長工タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、ずっと信越本線、北陸本線を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により直江津で廃車となりました。
D51185[直] 直江津 1969.3.15





D51247 D51247は昭和14年に鉄道省浜松工場で製造されたD51の1台です。糸魚川機関区に所属し、北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型重油タンクを載せた北陸線仕様ですが、集煙装置は鷹取式ではなく、大型の敦賀式をつけていました。1965年の配置は富山となっているので、ずっと北陸本線を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により転出し、1970年に長野で廃車となりました。
D51247[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15





D51268 D51268は昭和14年川崎車輌製です。直江津機関区に所属し、信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた標準的な信越線仕様で、ドーム前の手摺は長工タイプです。1965年の配置は上諏訪となっているので、長野の山線からやってきたカマと思われます。1969年の電化により長岡で廃車となりました。

D51268[直] 直江津 1969.3.15





D51290 D51290は昭和14年川崎車輌製です。酒田区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、ドーム前の手摺は長工タイプです。1965年の配置は長岡、廃車も1969年に長岡というデータがありますが、装備からの推察では長い間新津や長岡、直江津方面にいたカマではないかと思います。

D51290[新] 新津 1969.4.29





D51292 D51292は昭和14年川崎車輌製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様ですが、ドーム前の手摺が土崎タイプなのが290と異なるところです。1965年の配置は290と同じく長岡で、似たような経歴を辿っていますが、装備は長野と土崎の異なる香りがするので足取りも違っていたのでしょう。羽越線電化により北海道へ転出し、岩見沢で1973年に廃車となりました。
D51292[酒] 新津 1971





D51301 D51301は昭和14年川崎車輌製です。長岡機関区に所属し、信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置は新津となっているので、長岡へ転属してから、長野工場で装備の変更を行ったと思われます。信越線電化により長岡で1969年に廃車となりました。

D51301[長岡] 柏崎 1968.3.31





D51324 D51324は昭和14年日立製作所製です。酒田機関区に所属し、羽越本線の列車を牽いていました。装備はテンダに大型重油タンクを載せた羽越線仕様で、最大の特徴は長工式デフなのですが、324とわかる写真はこのような中途半端なものしかありません。1107の紹介で使ったこの1枚前のショットにそれらしきものが写っています。(下写真)。1965年の配置は長岡で、羽越線電化により1973年に酒田で廃車になりました。現在は習志野市文教センターに保存されているそうです。


D51324[酒] 新津 1969.8.14





D51335 D51335は昭和14年日立製作所製です。直江津機関区で信越本線の列車を牽いていました。装備はドーム後方に小型重油タンクを載せた信越線仕様で、ドーム前の手摺は長野タイプです。1965年の配置も直江津となっているので、長い間信越本線を走ったカマと思われます。信越線電化により直江津で1969年に廃車となりました。
D51335[直] 長鳥 1968.3.31
D51335[直] 直江津 1969.3.15





D51379 D51379は昭和14年日本車輌製の機関車です。糸魚川機関区で北陸本線の列車を牽いていました。装備は集煙装置とドーム後方に小型の重油タンクをつけた北陸線仕様で、集煙装置は鷹取式です。1965年の配置は糸魚川となっているので、ずっと北陸を走ってきたカマと思われます。1969年の電化により糸魚川で廃車となりました。
D51379[糸] 北陸本線 郷津-谷浜 1969.3.15




      


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