C57型
 昭和20〜30年代の新潟地域の旅客列車の牽引はずっとC51が担ってきました。C57は昭和15年に130〜133の4輌が新津に新製配置されたのが最初で、次は終戦後の昭和21年になります。この時に配属されたのが、178〜182、188〜189のいわゆる3次型です。その後、各地からの転属により、新潟鉄道管理局管内のC57は多くを数えるようになりましたが、新津に3次型のC57が多かったのは、戦後の新製配置が新潟や東北に集中したせいだと思います。
羽越本線を走るC57は、新津と酒田に配置されていましたが、昭和43年(1968)10月のダイヤ改正に伴って新津へ集中配置となったため、一時的に新津のC57が増加し、驚いた記憶があります。しかし、全検の切れた車輌が次々と廃車となり、昭和45年(1970)ころには、1,19,103,167,181の最後の5輌になりました。
私が新津に通ったのは、丁度新津のC57が増加した時期と一致するため、最後の5輌以外にも、比較的たくさんのC57を見ることができたようです。ここでは、カメラに収めることのできたC57を、簡単な略歴つきで紹介します。



C571 C5735 C57131 C57180 C57187
C5713 C5784 C57166 C57181 C57189
C5719 C5792 C57167 C57182
C5724 C57103 C57172 C57186 BACK


C571  新潟地区のC57の代表をC571とすることに異論を唱える方はいないでしょう。C571は昭和12年に水戸機関区に新製配置されました。記録では、その後宇都宮、千葉と関東地方を走ってきましたが、昭和29年に新津へ転属となりました。それから約20年、新潟地方の旅客輸送を支えた新潟の機関車です。
C571は何度も撮影チャンスがありましたが、なかなか静態した姿を撮ることができず、お召し列車を牽いた時が、三脚で撮った最初で最後の写真となりました。
C571[新] 新津 1969.8.17





C5713  C5713は昭和12年に三菱重工で製造されたC57のトップナンバーです。新製配置は小郡で、主に山陽線で使われていたようですが、終戦前後から、仙台、秋田と東北地方へ移り住み、新津には昭和36年にやってきました。廃車は昭和43(1968)年となっているので、2回ほど遭遇したのは幸運だったようです。テンダのみ形式入りナンバーをつけていました。 
C5713[新] 新津 1968.8.29





C5719  C5719は、昭和13年川崎車輌製造で最後まで新津に残った5輌のC57のうちの1台です。このカマもC5713と同じく新製配置は小郡で、門司、下関と関門海峡の近辺で働いていましたが、一転して昭和32年の秋田を経て、昭和37年酒田へ転属し、羽越本線を走りました。新津には昭和44年(1969)に移っています。C5719は稼動期間が長かったわりには撮影のチャンスが少なく、間近で見たのは、雪に埋もれた休車中の姿だけでした。
十数年前に新潟市の鳥屋野交通公園に保存されている姿を見ました。当時は比較的良好な状態だったと思いますが、現在はかなり痛んでいるようで気がかりです。

C5719[新] 坂町 1970.8.14

C5719[新] 新津 1969.12.24





C5724  C5724も19と同じ、昭和13年の川崎車輌製造のグループですが、新製配置は浜松で、最初は東海道筋の仕事をしていたようです。しかし、浜松の在籍期間は短く、その後は宇都宮、尾久と関東暮らしの後、昭和33年に酒田へ転属してきました。記録では昭和43年廃車となっているので、信越線の電車の窓から写したこの写真は廃車直前の姿だったのでしょう。
C5724[酒] 新津 1968.9.29





C5735  C5735は昭和13年に日立造船で製造されたC57のトップグループの1台です。新製配置は浜松ですが、C5724と同様に東海道線の期間は短く、すぐに米原へ転属となっています。戦後は水戸、千葉などの関東地方で長く活躍しましたが、昭和36年に酒田に転属となり、羽越本線を走りました。新津へは昭和43年に転属しましたが、一年そこそこで廃車となりました。この機関車は新津の在籍期間が短かったにもかかわらず、よく遭遇したような気がします。煙室扉のナンバープレートが若干高い位置にあり、正面から見た感じが好きな機関車でした。 
C5735[新] 日出谷 1969.8.17

C5735[新] 日出谷 1969.4.29





C5769  C5769は昭和13年に川崎車輌で製造されました。新製配置は岡山ですが、山陽本線の期間は短かかったようです。戦後は仙台、盛岡など東北地方で長く活躍しましたが、昭和36年に新潟、昭和38年に酒田へ転属となり、以来羽越本線を走りました。新津へは昭和43年に転属となりましたが、一年そこそこで廃車となっています。69は遭遇するチャンスの少なく、印象の薄い機関車でした。 
C5769[新] 新津 1969.4.29





C5784  C5784は昭和14年に三菱重工で製造されました。新製配置は不明ですが、戦後は金沢、富山と北陸方面で長く活躍しました。昭和38年に酒田区に転属となり、以来羽越本線を走りました。新津へは昭和44年に転属となりましたが、約1年で廃車となっています。84もあまり縁のないカマで、磐越西線の他は新津の機関庫でテンダの後姿を見ただけです。
C5784[新]  磐越西線 日出谷-豊実 1969.8.17





C5792  C5792は昭和14年に日立造船で製造されました。新製配置は米原ですが、戦後は尾久、千葉と関東で使用されています。昭和29年に直江津へ転属となり、北陸本線、信越本線の旅客列車を牽いていましたが、昭和41年に他のC57と一緒に直江津を追われて新津へ転属となりました。昭和44年には廃車となっています。92は羽越本線や新津で遭遇する機会が多く、私には親しみのあるナンバーです。

C5792[新] 新津 1969.1.26

C5792[新] 新津 1969.8.14





C57103  C57103は昭和14年に川崎車輌で製造されました。新製配置は不明ですが、戦後は金沢、富山と北陸地方に長く籍を置いています。昭和38年に酒田区に転属となり、以来羽越本線を走りましたが、金沢以降は僚友C5784と同じ道を辿っています。新津へは昭和44年に転属となって、羽越本線が無煙化された昭和47年まで生き残り、最後の5輌のうちの1台となりました。酒田区の所属が長かったせいか、遭遇したのは羽越本線の撮影で1回きりで、私にはあまり縁のないカマでした。
C57103[新] 桑川 1971.4.4





C57131  C57131は昭和15年に三菱重工で製造されました。同時期に製造された130,132,133と一緒に、初めて新津に新製配置された、新鉄では記念すべきC57です。この4輌はその後長期間新潟機関区に在籍しましたが、昭和39年ころになって、直江津、新津と県内を移動しています。131,132,133の3両は、昭和42年(1967)に揃って新津で廃車となりましたが、何故か長工式デフを装備した130は直江津から九州へ渡っていきました。同じく新津にいた長工式デフのC574も九州へ渡っていったのは偶然しょうか。C57131は新潟駅で見かけたこの写真が、最初で最後の1枚となりましたが、132,133は一度も見る機会がありませんでした。
C57131[新] 新潟 1967.3.21





C57166 C57166は昭和17年に三菱重工で製造されました。戦前のC57の生産は昭和17年の川車製153〜159と三菱製160〜169が最後で、戦時色の強まった昭和18年〜20年は貨物用機関車しか製造されません。166はこのグループの1台で、テンダ台車が板台枠となった2次型です。新製配置は尾久で、昭和28年まで高崎にいた後、直江津へ転属しました。新津へは、C5769,92と同様に直江津機関区の蒸機旅客扱いが廃止された昭和41年の転属だと考えられます。
磐越西線、羽越本線の撮影で度々C57166牽引の列車に乗る機会があり、私とは相性の良い機関車でしたが、正面のナンバーが大きくて低い位置に付いているので、何となくしまらない印象のカマでした。
C57166[新] 新津 1969.9.14


C57166[新] 豊実 1969.8.17





C57167 C57167は166と共に昭和17年に三菱重工で製造された戦前最終グループの1台で、テンダ台車が板台枠となった2次型です。新製配置は高崎で、戦後は仙台、森岡、青森と東北地方に在籍しました。昭和38年に新津へ転入し羽越線、磐越西線を走りましたが、昭和41年に直江津から166が転入し、24年ぶりに兄弟機が顔を合わせたことになります。C57167は新津に残った最後の5輌の1台となり、昭和47年に廃車となりました。
C57167は兄弟機166と違って遭遇するチャンスが少ないカマでした。写真が撮れたのは、5輌になった1970年以降で、2回だけです。ただ、気のせいとは思いますが、数字がひとつ違うだけなのに167の正面はすごく引き締まった印象を受けました。
C57167[新] 新津-京ヶ瀬 1970.12.20





C57172 C57172は昭和21年に三菱重工で製造されました。戦後のC57の生産は昭和21年の170〜189(3次型)と昭和22年の190〜201(4次型)で、全て三菱重工の製造です。172は戦後の製造再開第1ロットのグループです。戦後型のC57は主に亜幹線の旅客輸送能力の増強を目的としたため、ほとんどが北陸や東北の配置となりました。172の新製配置は盛岡で、昭和39年に新津へ転入してきました。鉄道関係誌で「C57172は東北時代には運転競技会に出された性能のよいカマだった。」という記事を見た記憶があります。
鉄道の写真を撮り始めたころに新潟駅で見ましたが、それ以後はなかなか走っている姿を撮ることができず、新津では休車状態、廃車となった後は長野工場で解体直前の姿を見ることになりました。
C57172[新] 新潟 1967.3.21

C57172 長野工場 1969.8.11





C57180  C57180は昭和21年に三菱重工で製造されました。戦後型のC57は主に亜幹線の旅客輸送能力の増強を目的としたため、ほとんどが北陸や東北の配置となりました。このうち178〜182の新製配置は新潟で、昭和38年前後の新潟機関区の廃止によって新津や酒田へ転属していきましたが、180はその時に新津へ移り住んでいます。昭和44年に廃車となり、新津市内の学校脇に保存されましたが、その後の復活は周知のことです。
 3次型のC57は、放熱管がランボード下になり一見してわからなくなったこと、先台車がプレート先輪となったことなどが外観上の特徴で、C57らしさという意味では1,2次型が勝るように思います。180は終後間もない時期の製造だからなのか、ランボードが歪んで見えたりするので、あまりきれいなカマという印象はありませんでしたが、現在は美しく復元されています。
C57180[新] 新津 1969.9.15

C57180[新] 新津 1969.8.17





C57181 C57181は昭和21年に三菱重工で製造されました。新製配置は180と一緒に新潟で、昭和37年に酒田へ転属していきました。昭和44年(1969)の新津へのC57集中配置に伴って新津へ移り、最後の5輌の1台となったカマです。
181は180と比べてランボードやキャブ屋根の直線がしっかりしており、基本的なプロポーションが整っていたという印象があります。また、ナンバーの桁数が多く横長だったにもかかわらず、煙室扉のナンバープレート取り付け位置が扉の上段ヒンジよりも上にあり、面長な印象が私好みでした。181は比較的遭遇するチャンスに恵まれたカマでした。

C57181[新] 新津 1969.12.24

C57181[新] 新津 1969.12.24

C57181[酒] 坂町 1968.11.23





C57182 C57182は昭和21年に三菱重工で製造されました。新製配置は180,181と一緒に新潟区で、昭和36年には新津へ移っています。ここまでは180と同じ足取りでしたが、昭和44年(1969)の新津へのC57集中配置によって押し出されるように播州豊岡経由で九州の吉松へ転出していきました。
182の特徴は第二先輪にあります。3次型C57の先輪はプレート車輪が標準ですが、182は何かの理由で第二先輪のみスポーク車輪を履いていました。
182は新津が長かったため、遭遇するチャンスの多いカマでした。相性がよかったせいか、鉄道趣味最後の撮影旅行で訪れた九州の吉松機関区でも偶然出会うことができましたが、休車となったその姿はさすがに寂しいものがありました。兄弟機180,181のように、生粋の雪国育ちはやはり雪国で生涯を終えるのが良かったように思います。
C57182[新] 新津 1969.4.29

C57182 吉松 1973.4.4





C57186 C57186は昭和21年に三菱重工で製造されました。新製配置は178〜182とは異なり山形でしたが、すぐに酒田へ移った後、昭和24年には新津へ転入しています。新津暮らしの長いカマで、昭和45年(1970)に九州の人吉へ転出するまでの約20年間を新津で暮らしました。標準的な3次型で182のような改造はないようですが、186も181,189と同じように煙室扉のナンバープレート取付位置が高く私の好みの顔をしています。新津付近で何度も出会った、プロポーションのきれいな機関車でした。
C57186[新] 新津 1969.4.29

C57186[新] 新津 1968.1.2





C57187 C57187は昭和21年に三菱重工で製造されました。新製配置は186と同じ山形でしたが、こちらは2年足らずで新潟へ転入した後、昭和24年には新津へ転入しています。生き別れとなった兄弟機186と同時期に新津へ集まったのは運命のいたずらでしょうか。187も新津暮らしの長いカマでしたが、昭和41年(1966)に九州の大分へ、昭和43年には宮崎へ移っています。したがって、私は新潟で187を見ることはできませんでしたが、最後の撮影旅行となった九州宮崎で元気な姿をみることができました。九州には馴染まない3次型ですが、187のように第二先輪がスポーク車輪に履き替えてあります。キャブ屋根や窓もすっきりし、磨き上げられた姿はすっかり九州のカマですが、ドーム前の手摺は長野タイプのままです。吉松で見た182とは好対照でした。
C57187[宮] 宮崎 1973.4.3





C57189 C57189は昭和21年に三菱重工で製造されました。C57188と一緒に新潟に新製配置となった最後の3次型C57です。その後、188は昭和25年に新津へ移り、昭和43年に廃車となるまで新津にいましたが、189は一足早い昭和24年に直江津へ転出し、昭和41年の直江津区の蒸機旅客扱いの廃止により新津へ戻ってきたようです。両機ともに新潟の機関車ですが、188は一度も実物を見ることができませんでした。189も標準的な3次型で特に外観上の特徴はありませんでしたが、181,186と同じように煙室扉のナンバープレート取付位置が高く私の好みの顔をしています。189もプロポーションのきれいな印象の機関車でした。
C57189[新] 新津 1969.12.24

C57189[新] 新津 1969.8.14




          



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