新潟駅とその周辺
  1967年ころの新潟駅には様々な列車が絶え間なく出入りしていました。特急列車は181系の「とき」、キハ82系の「白鳥」。165系の急行「佐渡」はサロ以外は非冷房でデカ目の正面にマークを付けていた時代です。ローカル列車もバラエティーに富んでいて、信越線は70系電車と客車列車、磐越西線は気動車と客車列車でした。越後線、白新線はキハ10系、20系が中心で、新型のキハ35やキハ45が投入されたばかりでした。日中にはC56牽引の貨物列車も到着します。非電化区間を通る長距離急行は、名古屋行が「赤倉」、金沢行が「しらゆき」で、キロ28を2輌もつないだキハ58系の8〜10連などという、今では考えられないような編成で走っていました。
駅の裏側(現在の駅南)にはこれらの車輌を管理する、電車区、気動車区、客車区のような施設があり、たくさんの車輌が留置されていました。私が鉄道趣味に目覚め、初めてカメラを持って探検に行ったのがこの新潟駅の「裏」です。自転車に乗り、初めて踏み込む鉄道の舞台裏で私を待っていたのは、多くの電車や気動車に混じり、留置線で待機する機関車でした。当時は磐越西線を中心に、相当数の新潟発着の客車列車があり、これらの牽引機が帰りの仕業まで待機するのです。
顔ぶれは多彩で、C57、D51、EF58、EF15・16、DD51や入換用のDD13、時にはDD53までが交代で現れては出発していきました。当時は列車や車輌に関する知識もほとんどなく、目の前にある車輌に向かって、焦点合わせのできないボロカメラのシャッターを只ひたすらに押し続けたのがここに掲載する写真です。見苦しいのはどうかご容赦頂き、当時の記録としてご覧下さい。

EF58110[高二] 右はサロ165を2輌はさんだ急行「佐渡」の編成 1968.3.21






オヌ331を従えたEF1631[岡二]と急行「佐渡」の165系電車 給水スポートがあった。 1967.3.21






EF1631[岡二]とC57131[新]が並ぶ 1967.3.21






EF5867[高二]とDD5113[東新] 正面1本帯の初期型 1967.3.21






7番線で単機回送の発車待のDD13127[東新] ホームから大きな気動車検修庫が見えた。1967.3.21






落成から間もないDD532[東新] この機関車がまだ現役なのは奇跡に近い。隣のEF58はまだ茶色だった。 1967.5.21






単機回送発車待ちのEF58173[高二] 可動式スノープロウの時代 1967.3.21






木製窓枠のクハ76047 新ナカ 1967.3.21






正面非貫通のクハ68200 新ナカ  1967.3.21






新製配置されて間もないキハ45とバス窓のキハ17   1967.3.21






上越線の夜行寝台「天の川」のオロネ102048 この時代は上野−新潟の寝台急行だった。   1967.10.10






午後の逆光の中を3番線に到着するC5693[東新]牽引の越後線181レはけっこう長い編成   1967.10.10






東側(新津方面)の駅構内にはいつも気動車がひしめいていた キハ10+キハ20 1967.3.21






EF15132[岡二]+オヌ33の牽く磐越西線郡山行228レ  新津までEF15が牽くが冬期間は暖房車を連結する 1967.3.21






新潟操車場へ向かう回送 D5129[酒]+F58 1968.1.23






181系の特急「とき」と越後線のC56 1968.9.29





70系の先頭に立つクモニ83 3番線は越後線のキハ17 1969.1.26






朝日を受けるC57189[新]牽引回送列車の発車待ち  1968.8.17






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