直江津駅と直江津機関区 1969.3.15
  直江津は信越本線と北陸本線が接続する交通の要所で大きな機関庫がありました。その歴史は古く、信越本線の直江津−関山が開通した1886年(明治18年)に初代の機関庫が建設されたのもと思われます。
私がカメラを持ちはじめたころには、信越本線の直流電化が直江津まで完成して構内には架線が張りめぐらされ、長野のEF62が顔を見せていました。これと同時に長岡−直江津間の蒸機による旅客扱いが廃止されたため、直江津には既にC57の姿はありませんでしたが、自区のD51の他にも長岡や糸魚川のD51がひっきりなしに長大貨物列車を牽いて出入りし、構内はいつも黒煙が渦巻いていました。
新潟方面からの列車が直江津駅に進入する手前側左奥に大きなラウンドハウスがあることは知っていました。しかし、新津のように列車内からはよく見えず、ずっと訪問のチャンスを覗っていましたが、電化を半年後に控えた1969年の春に、北陸本線の撮影と兼ねた最初で最後の直江津機関区訪問が実現しました。
当時の配置表によれば、直江津、長岡、糸魚川の3機関区合わせて30輌〜40輌のD51が長岡−糸魚川の貨物列車牽引に当たっていたようです。また、直江津駅構内には客車、貨車のヤードもあり、入換用にC12と9600型が配置されていました。
この時の私の装備は少しグレードアップし、父から借り受けたMINOLTA SR-3 という一眼レフに、近所のDPE店で借用した「リコーフレックス」なる6×6版の本物の二眼レフを持ち込みました。これは縦長の直方体の箱の前面に上下2段にレンズが配置されている変わったカメラです。上から覗くとスリガラスのファインダーに映像が映る仕組みになっており、映像用のレンズと撮影用のレンズが連動するので焦点合わせができるものです。少し前に見た西尾克三郎さんの鮮明な型式写真に衝撃を受け、少しでも大判のフィルムで型式写真らしいものを撮ろうとしたのですが、操作(歪まない画像にすること)が難しく、それらしく撮れたかどうかは作品をご覧下さい。
直江津機関区は当時の鉄道雑誌などでも紹介された記事を見たことがなく、信越本線が非電化でC51やD50がいたころの様子を知る手立てのない謎の機関区です。当時の写真などをお持ちの方がおられるのでしたら、是非拝見させて頂きたいと思います。



中心角が180°以上ある巨大なラウンドハウス。標準レンズでは全容がわからない。






機関庫の裏側は1区画3面の格子窓の上縁が緩いアーチの洒落た造り。よく見ると表面のモルタルが剥げて本来の赤レンガ見える。いつの時代のものかはわからないが、原型は美しいレンガ造りであったことがわかる。






広々とした構内には大型の門型クレーンと給炭台に給水タンクが見える。






ターンテーブルで転向するD51335[直]  1969.3.15






終煙装置のない信越線仕様のD51128[直] (6×6版で撮影) 1969.3.15






鷹取式終煙装置を装備した北陸線仕様のD51617[糸](6×6版で撮影) 1969.3.15






入換機のC12216[直](6×6版で撮影) 1969.3.15






動力逆転機を装備した9648[直](6×6版で撮影) 1969.3.15






急行「白山」を牽いて富山からやってきたDF50512[富一] (6×6版で撮影) 1969.3.15






長野のEF6243[長]  (6×6版で撮影) 1969.3.15






マックレーのキ913。直江津区の除雪受持ち線区で最大の難所が信越本線妙高付近だが、DD53やDD14は見当たらない。庫の中のキ614と組んだキマロキが年に一度くらいは出動したのだろうか。 (6×6版で撮影) 1969.3.15






北陸本線の仕業を終え引上げ線に待機するD51617[糸] 1969.3.15






長野行の仕業に着くEF6214[長] 1969.3.15






ホームにたっていると、ひっきりなしにD51に牽かれた長大貨物列車が到着した。 D51529[糸] 1969.3.15






構内は常に黒煙とブラストの音で賑やかだった。9648[直] 1969.3.15






駅構内の引込み線で入換中のC12244[直] 1969.3.15






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